「いいぞ」を待ってる犬の姿勢で

佐藤ゆうこ の 短歌のことをかく ページ です

(感想)軍手ごしに触れて昇温確かめる/『工場』奥村知世

  軍手ごしに触れて昇温確かめる子どもの額に手をやるように

 

 作者が職場とする工場で働いているところの一場面。どのような製品が製造されている工場なのか、歌からうかがい知ることはできないが、金型やフレコンなどなど、工場の様々なツールが描かれている。子どもの熱から体調をさぐるように、軍手ごしでも工場の機器に触れる手のひらに、じっと意識を集中している。

 

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 第六十回短歌研究新人賞の発表(平成29年9月号)で候補作となった「臨時記号」を読んで以来、気になっていた人の歌集だったので、すぐに読んだ。同賞のプロフィールは、所属だけでなく職業の記載もあるのだけど、このとき「開発研究員」と書いてあった点に少し驚いた記憶がある。

 

  油圧式フォークリフトはカクカクと冬の寝起きのオイルはかたい

  すり減った安全靴は最後まで私の足を守る気でいる

  配管が日差しにゆるみぴしぴしと金属が鳴るあくびのように

  毒キノコのごと赤々と盛り上がりどの装置にも非常停止ボタン

 

 工場のツールたちは、やわらかく擬人化されて描かれており、無機質な雰囲気がない。職場を同じくする仲間として描かれていて頼もしさすら覚える。かと思えば、四首目のように、危険を意識せざるをえない空間としてぎろりと歯を見せることもある。 

  

  フレコンの口を開ければきらきらと昨夜の雨のしずくが落ちる

  花びらは排水ピットにこぼれおち金網の下でしばしたゆたう

  煙突の影の桜は五日ほど遅れて花びらこぼし始める

  工場の凍結防止対策解除基準満たして冬が過ぎ去ってゆく

  金型の昇温時間長くなり実験室の季節が変わる

 

 また、「工場の中で働く」という目線から、工場に現れる天候や季節の変化がこまやかに抽出されている歌も多い。一首目、フレコンはフレキシブルコンテナバッグの略。粉末や粒状物の荷物を保管・運搬するための袋状の包材のこと。現場には雨が降っていたことをフレコンの口を開けるという「最初の仕事」で感じ取る。二首目、三首目、大きな影を作る煙突の下にある桜も工場の風景のなか、働く作者の視界の隅にしっかりと映り込む。四首目、五首目、凍結防止対策・金型の昇温時間など、日々の気温に合わせて変えていかなくてはならない仕事によって、ふと季節の移ろいに気づく。温度・光の量・空気などが「働く」という目線から捉えられることによって、読み手は歌を臨場感をもって読むことができる。

 

 先述した候補作のときに選考委員の議論にもなっていたが、当時わたしの印象に残ったのは子どものクールな歌い方である。自分の子どもというよりかは、「子ども」というものを距離をもって観察しているように思われる。

 

  抵抗をしない鳩だけ見極めて砂場の端まで子は追いかける

  どんぐりが通貨単位の商店に息子から買う虫の死骸を

 

 そういえば、歌集のなかには子どもを叱ったり、抱きしめたり、撫でたり、褒めたりする場面は歌われていない。むしろ、オムツの処理やお風呂などの動作がシンプルに描かれている。

 

 歌集全体を通じて「工場で働く」ということともう一つ「ジェンダー」もテーマになっている。工場のなか・会社のなか・社会のなかでの女性と男性の差が、皮肉をもって歌われているものも多かった。個人的には、皮肉をストレートに歌ったものよりも、作者がジェンダー的問題に直面し・行動した場面の歌のほうが共感の度合いが高かった。

 

  「妊娠の超初期症状」Googleに打ち込んでしばし待つ昼休み

  私だけ部下を持たない組織図は北極のような空白がある

 

 私も検索した。今妊娠したらいつから休まなくてはならないか(というか休むことはできるのだろうか)、今のプロジェクトは最後までやれるだろうか、体調はもってくれるだろうか、等々。しんとした昼休みの空気がずんと重くなる。

 ときおり会社や自分の所属する組織が、女性の自分を扱いあぐねているな、と感じる瞬間がある。組織図や名簿(それに付記されている役職とその順番)などは特に。

 

 あとがきを読むと、「肉体で向き合い、そしてそのまま消えてしまうその場その場の具体的なものを、短歌として残せたことはとても幸運でした。」と綴られている。今・目の前にあるものを肉体を通じて感じ・歌う。それが、臨場感のある歌の手触りを生み出していると思う。

 

  夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む

  工場にラジオ体操鳴り響く十五時の背中ぽきぽきと鳴る 

  神棚に頭を垂れる作業着の息の白さの濃く薄く濃く

  階段の手すりは必ず持つルール軍手で握る冷たい手すり

 

作業着の下の汗、ラジオ体操する体の感覚、呼吸、触覚とともに切り取られる労働の一場面が、つよくつよく印象にのこる。

 

 最後に、好きな歌(特に背を高くして付箋を貼ったもの)を。

 

(すきな歌)

  溶けていくバブを時々湯から出しバブの悲鳴やため息を聞く

  まばたきの分だけ私より長く世界を見ている私のメガネ

  哺乳瓶をガラスごみへと捨てる朝 走馬灯とはほんの一瞬

  フライパンにバターを落として溶けるまでふと長くなる十月の朝

  実験室の壁にこぶしの跡があり悔しいときにそっと重ねる

  グラフェンをはがす痛みにしいしいと息を漏らして鉛筆すべる

  エアバックが頭の中で次々に開いて眠れぬ夜の圧力

  発電所、樹脂工場にパン工場 煙がすべて南へなびく